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ニキのはは

Author:ニキのはは
ディルフィー*フラット・C・レトリバー 2001・1・19生
ニキータ  *アフガン・ハウンド    2003・4・5生
サブリナ  *スタンダード・プードル 2006・2・12生

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ディルフィーらしく

  早いものでディルフィーがいなくなって1週間が経ちます。
看病している間はあんなにもゆっくり穏やかに流れているように感じていた時間が嘘のようです。
思えばあのゆっくりの時間は神様が私にくれた、“別れ”の時間だったのでしょう。

 
亡くなる2週間前から自分の口からは一切物を食べなくなっていたディー。
2~3時間おきに流動食をガラスの注射筒で口から流し込む日々。

ディーには内緒だが、この注射筒の正体は実は浣腸器
未使用、正真正銘の新品だから許してね。

 その流動食も、金曜の夕方から受け付けなくなった。
そして夜、ディーの命を繋いでいたガラスの注射器がパリンと割れた。
まるでディーが「もういらない」と言っているかのように…

水さえも飲まなくなった土曜日。朝から何度となく吐き気が来るようだが当然吐く物などない。
病気になってから表情を映さなくなった瞳が、傍を離れると重たい頭をもたげ私を探す。撫でてやると「もっともっと」と鼻先を押し付けて来る、前足で私の手を押さえる。こんな事は久しぶり。

私の中で“別れの予感”がした。


 

  
口からは異臭がしていた。鼻から少量だがおりものの様な体液が出た。

 カグままからお見舞いに行くと連絡が来たが、正直「間に合うかな?」の気持があった。

カグまま到着10分後、ディーは逝きました。
大きく首をのけぞらせ、「おで、もう行くよ」と言うようにしっかりその瞳に最後の人の姿を焼付け行きました。
はい、カグままの姿を……

おい、ディルフィー違うやろ。母さんは反対側や!

カグままが、「デイルフィー、行ったらあかん、あかん」と言いながらディーの心臓マッサージをしてくれましたが、私は「もういいよ」と言いました。
 
本当はディーはもっと早く楽になりたかったのだと思う。
でも、私にここまでの時間をくれるために頑張った、私に少しでも「面倒を診た」という実感を与えるために匂いをかぐのさえ気持ち悪い中、えづきながら流動食を飲み込んでくれていたのだと思う。

 カグままは、Y先生からディーの事を聞いて、私に直接連絡できずバーディままに様子を聞いたらしい。
「ヘタレ」と言ってやった。
その後、ともちゃんが「一緒にお見舞い行こう」と言った時は「いかん」と答えたらしい。
でもこの日は「今日じゃなきゃ。明日じゃあかんのや」と思ったらしい。

皆が言った。「ディーちゃんが呼んだんや」と…私が一人でパニクらないように、哀しみが少しでも少ないように…


この日Оさんは出かけていた。後の友人はきっと私以上にパニクる(笑)

カグままは今まで何頭かのワンを見送っている、職業はナース。
これ以上のキャスティングがあるか?
ディルフィー、そんなに母さん一人では頼りないと思ったか…その通り。

私より号泣した後、てきぱきと肛門等への詰め物、その他の処置をしてくれるカグまま。
私はディーの身体をきれいに拭いてやりブラシを当てる。
片面が済んで、身体を反転させる段になって、上半身を支えていた私の手がすべりディーの体が床にゴーン。
折角閉じた口が開いて舌がベロ~ンと出た。
「おかん、無茶しよるな」とカグまま。二人で笑う。

 この日は、徳島で訓練競技会でした。
先生達はきっと19時のフェリーだろうからその頃連絡しようと思っていた。良い気分で終えて欲しかったから。

なのに、知らない間にカグままが先生に連絡していた。
でも、進行が早くて表彰式も終わり、16時半のフェリーに乗れるとのこと。
過去にこの船に乗れたことはないらしい。皆さん帰港したその足で駆けつけてくれた。
ディルフィー、早く皆に会いたくて競技会まで早く終わらせたらしい。

マイコーも店を定時で閉め、帰宅。
帰りにスーパーでお寿司を買ってきてくれ、あんなに食べることが好きだったのに食べれずに逝ってしまったディーの供養に少しづつお寿司をつまんでもらう。

そのお寿司のパックにデカデカと半額というシールが貼られていたのもご愛嬌。

その後も続々と弔問のお客様が訪れてくれました。
皆が「土曜の夜というのも出てきやすかった」と言っていた。
最後のお客様が帰ったのは夜中の2時半。

 本当にディルフィー、自分が逝く日まで計算したのか?
マイコーの休みは毎週月曜日。
これが、木曜や金曜ならいくらこの時期でもそうそう長く置いておけないのでそうなると私一人で火葬場に連れて行くことになった(まぁ、その時はきっと誰かが付いて来てくれたでしょうが)

さりとて日曜ならあまりにお別れの期間が短すぎる。
実際翌日も沢山の方が来て下さった。
人好きなディーは一人でも多くの人に会って欲しかったのだと思う。

最後の最期まで自分の良いように回していったね、ディーちゃん。

 8月から店の女の子が産休・育休に入り、私が店を手伝うことになった。
求人もかけたが、なかなか良い人が見つからなかった。
私が覚悟を決めてずっと働くか?と思った頃、新しい子が決まった。
はからずも、ディーが癌宣告を受けた10月15日だった。

私がその子に仕事を教えたのは3日間だけ。
その後ディーが「一両日中かも?」と言われた大きな発作を起こし、それから私は出勤せず、ずーっとディーに付いていられた。
最期を一人で逝かせることなくこの腕で看取れたのも彼女のお陰。

 病気になった不幸以外は何もかもも上手く動いたように感じる。

皆が「ディルフィーらしい」と言った。

フラットとしては見た目も中身も規格外で、『ディルフィー種』って種類と言われていたディー。
それならそれでずっとフラットらしくなくいて欲しかったのに、最期はフラットらしく闘病1ヶ月で空に帰っていった。

でも、本当にその最期は彼らしく潔く、思いやりに溢れ、優しさに包まれたものだった。

こんな子にはもう2度と会えないかもしれない。
それでも、いつか絶対帰っておいでね、また逢おうね。

その時は「しつこい」なんて言わず、思いきりベロベロチュウチュウさせて上げるから・・・…う~ん、たぶん。

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